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ペット
隣の住人はペットを飼っている。
能見屋区に一五階建ての高層マンションがある。駅から歩いて1時間半もかかるが、駐車場が充実していることや商店街等付近の居住環境の良さから人気は高い。
けれど、このマンションを特別なものにしているのは、他ではあまり見かけない管理システムによるところが大きかった。
管理人のいないマンションであった。廊下、階段の掃除は専門の業者が定期的にくる、エレベーターチェックやセキュリティシステムに関しても同じだ。不動産業者から鍵は直接手渡され、以後一切関与されない。部屋の管理は個々が完全に責任を負うことになる。
賃料にしても実に珍しい。激安の基本料金に、使ったガスや電気代に比例した金額が、賃料として毎月請求されるのだ。エコの為のアイデアとの話だが、出所は不明だし住人にそう説明があったわけでもない。
最後にペットに関する規約がある。10階より上層の部屋を借りている住人にのみ、ペットを飼うことが許されるのだ。
その為か、ペットを家族の一人として勘定している人々から支持が高い。部屋から出せないものの、室内犬や猫ならば問題はない。。
そういったわけで、1510号の彼の隣の住人がペットを飼っていても、全く問題ないのだ。
「飼ってもいいなら防音設備くらいしてくれよっ!」 彼はTVの音量を大きくしてから、リモコンをベッドに叩きつけた。
壁越しに聞こえる猫の叫び声。
盛っているのか、その鳴き声は聞くに耐えない。しかも長時間にわたり永遠と鳴き続けるのだから、隣人としては堪ったものではなかった。
隣でこのうるささなのだから、当の住人はもっと酷かろうに。だというのに、どういうった対処も見て取れない。
隣の住人は耳が聞えないのではないか?
本気で思った。デスクに向かってシャーペンを走らせるが思うように勉強は進まない。当然である。壁越しからは猫の絶叫、TVからは大音量で国会中継。これで集中できたら、天才か異常者、どちらかである。
彼 は仕方なくTVを消してから、怒りに任せて二度三度壁を蹴りつけた。ほんの少しだけ猫の鳴き声が止んでスッとしたが、安全と分かるとまたもや鳴き始める。 この声からすると、喧嘩か盛っているかどちらかだ。赤ちゃんの声に似てるから、喧嘩かもしれないが、それなら声が一匹だけというのもおかしな話だ。
ため息を吐いてシャーペンを放りだした。
合格と書かれた壁に、そこはかとなく切なさを感じる。
不合格を二度味わった身ならばとくにそうだ。
今年こそ合格せねば仕送りを打ち切るとまで言われている。気ままな大学生活を思えばこそ力も入るが、今年受かったとしても、二十での入学となる。
…アオーンッ! アアーンッ!…
「いい加減にしろっ!」
彼は今度こそ壁を全力で蹴りつけた。
…アアーンッ! アゥオーンッ!…
鳴き止みもしない。
「畜生っ!」
鳴き声以外は何も聞えない。時計はすでに午前二時を指している。
怒りのあまり頭がどうにかなりそうだった。
ベッドにもぐりこみ、頭から毛布をかぶった。
鳴き声は以前止まなかったが、それ以外手の打ちようがなかった。
勉強以外やることのない彼は、15階の部屋と、道路を挟んでビル正面にあるコンビニを往復するのが日課であった。部屋を出るのは一日一回、誰とも話すことはない。
ただ、それを苦痛と感じたことはなかった。
元々内気な性格であったし、現状を思えば友人とニコやかに話すことはできない。親兄弟に会うなんてとんでもない。最近では、身内からかかってきた電話はとらないことにしていた。
都会の無関心な風潮は彼にとって好都合だった。
そういうわけで、彼は自分以外全く興味がなく、当然の如く1509号にいるはずの隣人など、知るはずもなかった。
だが、それも今日までの話である。
「■■ね」
1509号室のインターホンを押そうとしてやめた。
コンビニの帰りふと思い立ったのだ。ペットの躾に対して文句を言ってやろう と、コンビに弁当を抱えたままチャイムを押しかけて、手を止めた。迷惑がかかるとか、面倒というのもあったが、それよりトラブルに巻き込まれるのが嫌で あった。これを契機に、隣人と知り合いになるというのも嫌な話だ。
結局彼は隣人に接触することなく、自室の鍵を開けたところで、またもや鳴き声が聞えた。
…アオーンッ! アアーンッ!…
「くそっ!」
自室の前から回れ右をして、彼は再び隣人の部屋の前に立つと、今度は迷うことなくインターホンを押した。
…ピーンポーン…
昭和チックな呼鈴が鳴り、一瞬だけ鳴き声も止んだ。
どういう文句を言ってやろうか? そう意気込んでいたが、部屋から主人がでてくる様子はない。立て続けに鳴らしたが、やはり戸が開くことはなかった。
「おいっ! ふざけんなっ!」
呼鈴の他に、荒々しいノックも付け加えたが、戸が開くどころか人の気配さえ感じられない。
完全な留守か、下手したら居留守である。
両膝に手をやって大きく息を吸い込む。ここでドアを蹴り壊しでもしたら、今度は弁償問題である。経済事情がよろしくない彼としては、とにかく問題は回避したい。
胸に手をやり天を仰ぐ。
落ち着け 落ち着け…
鳴き声は相変わらずだったが、主人がいないのでは文句も言いようがない。
彼は毒づきながら自室へと戻った。
それから一週間後、彼は机の前で頭を抱えていた。
一向に鳴き止まない猫の声。
何度苦情にいっても留守の隣人。
何もかもうまくいかない。
最近になって猫の鳴き声と共に、人の声がたまに混じるようになった。微かに聞えるだけなので、内容は理解できない。
唯一確かなことは、隣人は女性だということである。
頭痛に悩まされながら、飯を食う為にコンビニへ出かける。といっても買う物といえば、弁当くらいのものだ。
自室を出て、エレベーターに乗り込む。
1階のボタンを押すと、15階から音も無くスムーズに14、13、12とランプが移動していく。
何かが聞えた。
…アアーンゥ…
聞き馴染んだ鳴き声に驚いて振り返った。
まさかエレベーターに?
探したが猫はいない。もとよりエレベーターといえば小さな密閉された空間で隠れるような場所もない。
「……気のせいか」
呟いた声が、なぜか自分の声とは思えないくらい引きつっていた。
その後、彼はエレベーターに乗り込む度に猫の声を聞くようになった。
そのせいで15階だというのにエレベーターを使わなくなったほどだ。最もエレベーターはすぐ使うようになった。15階まで階段を使うというのはどう考えても非効率だし、何より……猫の声はエレベーター以外でも聞えるようになったからだ。
恐らく、隣の部屋の猫があまりに騒がしいので、幻聴が聞えるようになったのだ。彼はそう決め込むと、文句を言う為、隣人宅へと、再度ピンポンを鳴らしにでかけた。
期待していなかったが、それでも留守だと腹が立つ。
大きくため息を吐くと、最後にチャイムを鳴らしてから、何気なくドアノブを捻った。
カチャ……
「っ!」
開いた。
これまでずっと錠をかけていなかったのだろうか?
いや、それはどうでもいい、何にせよ返答がないなら入るべきではない。
……入るべきではないことは、百も承知であったが、彼には我慢できない理由があった。
慎重にドアを開ける。
飾り気のない廊下が奥まで続いている。
彼は少し悩んだ末、無言で室内へと侵入した。
TVがひび割れ、本棚は横倒し。足元には雑貨用品がばら撒かれて、およそ整理されているとは思えない。ただ唯一小さなベッドと、其の周りだけが几帳面なほど整理されていた。
訝しげに思いながら部屋を見渡す。
猫はいない。
台所、寝室、トイレ、洗面所、猫はいない。
結局目的を果たせず、呆然と立ちすくむ。何も得ることなく、部屋からでなくてはいけない。それが無念であったが、実のところ、こんな気味の悪いところにはいたくはなかった。
だが、まだ見てないところがある。
意識的にか無意識的にか、とにかく風呂場は見ていなかった。
最後に風呂場を覗いてみることにした。
型版ガラスの奥で何かが動いているように見えた。
一瞬躊躇ったが人ではなさそうだ。
開けた。
…シャーッ!…
いきなりシャツの肩から血が吹き出た。
開けた瞬間、物凄い顔の猫が一直線に襲いかかってきたのだ。
目が離れていて、そしてやけに大きい黒の猫。
腕を切り裂かれて三筋の大きい爪あとが走った。血が滲み出てTシャツを赤く濡らした。
「うあぁあぁっ!」
突然の強襲に、悲鳴をあげて背中から転がりしたたか頭を打ちつけた。
猫は血走った目で再び唸り声を上げて飛び掛ってきた。
転がった先で手が何かにぶつかった。何も分からず思い何かを猫に向かって投げつけた。
思いがけず猫の額に命中する。
彼が投げたのは洗面所にあった木製のイスである。
弱った猫に対して、彼は投げたイスを拾い上げると夢中で殴りつけた。
何度も、何度も、何度もっ。
彼が正気に戻ったときには、猫は血溜まりのなか痙攣を起こしていた。
「まだ生きてるっ」
このとき彼の頭にあったのは、猫に対する恐怖心。考えるより先に身体が動いて、猫の首を思い切り締め付けた。
必死の形相で泡を吹きながら猫が爪を立てる。
1分…2分…、猫は窒息よりも先に首の骨がへし折れ、その生命活動を停止させていた。
ぐったりと動かなくなった猫を前に彼は震えていた。死んだ猫を見ながらガタガタを歯を鳴らす。
ただただ恐怖に突き動かされて逃げ出そうとすると、猫の後ろから、子猫が現れた。間違いなく、この猫の子供である。殺す必要はない。
彼は無視してその場を離れようとすると、子猫は悲しげな声で鳴いた。
…アアーンッ…
途端に怒りがこみ上げる。この声で鳴いていたのは、子猫のほうだったのだ。
子猫をたちまち捕まえると、彼は親猫と同じように風呂場で首を絞めて殺した。
辺りを見回す。
隠せそうな場所は?
あるはずがない。
第一、猫が死んだら誰かが気づく。持って帰ろうかとも考えたが、見つかったとき言い訳ができない。彼は仕方なく、風呂場に水をはって2匹の猫を放りこんだ。うまくいけば、自ら風呂場に入って死んだと思われるかもしれない。
その日から猫の声は聞えなくなった。
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5日後
彼の部屋のチャイムが鳴った
開けてみると警察であった。
思いもかけず内容は、殺人事件のことだった。警察は彼の話を頷きながら、執拗にアリバイを尋ねてきた。その他、彼が猫につけられた引っかき傷に異様な執着を見せる。
さすがに無断で部屋に入ったともいえないので、路上で猫にひっかかれたと言い訳した。
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次の日
再び彼の部屋のチャイムが鳴った。
開けてみると警察であった。
理由を言う前に警察は彼の両手に手錠をかけた。
意味が分からない。
意味が分からないうえ、署に連行するという。冗談じゃないので抵抗したが、運動もしない彼が、手錠をした状態で鍛えた警察にかなうわけもなく、簡単に捕まり、警察署の一番奥にある部屋へと連れ込まれた。
彼は必死になって弁明した。
明らかに逮捕は間違いであり冤罪であると。
必死の数十分にわたる弁明を聞いたあと、警察は大きくため息を吐いてから、後ろに控えていた若い警察官にこう言った。
「…………あー、精神科の加藤先生に電話入れてくれ」
3日後、全国にあるニュースが報道された。
ニュースキャスターが口を開く。悲しげな表情と、冷静な口調が印象的であった。
「先日、○○県、能見屋区のマンションにて、赤ちゃんと、その母親が殺されるという事件が……」
あとがき
やや時間軸がずれています。事件と彼の行動とが、やや前後していますが、そこらへんは気にせず。
2007.5.27 杏、五目大会での集会にて 題目 「ペット」
作者 里八